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三笘薫はいつからサッカーを始めたのか?上手くなった秘訣や経歴

三笘薫は いつからサッカーを始めたのか

プレミアリーグのブライトンに所属している三笘薫選手。
カタールW杯での活躍後、所属クラブに戻ってからW杯での活躍によりスタメンを獲得し安定した活躍を見せています。

現在の三笘薫選手の活躍を支えている技術力やサッカーセンスはいつからついていったのか紹介していきます。

本記事の内容

  • 三笘薫選手はいつからサッカーを始めたのか
  • 三笘薫選手の幼少期〜現在までの振り返り

現在、ブライトンでスタメンとして常に試合に出場し続けている三笘薫選手。三笘薫選手のプレースタイルといえば、サイドからのドリブル突破と正確なパスセンス。

そんな三笘選手がサッカーボールで遊び始めたのは3歳のころ、幼稚園の年少からが始まりです。

三笘薫選手の現在のサッカースタイルはいつから身についてきたのか幼少期から現在に至るまでを振り返っていきましょう。

三笘薫選手はいつからサッカーを始めたのか

三笘選手の兄がパトレン1号なのびっくりした pic.twitter.com/nZ2pugfZYu— 天空トマト🍅 (@Tomatotenkuu) December 8, 2022

3歳上の兄の影響で三笘薫選手は幼稚園の年少の頃からサッカーボールに親しんでいたと言われていますが、小学校2年生の時に本格的にサッカーを始めました。

サッカーを始めるきっかけを作ってくれた兄はサッカー選手ではありませんが、趣味でサッカーを楽しんでいると三苫選手のインタビューで語っています。


三笘選手からの正式な公表はないそうなのですが、三苫選手の兄は俳優であり雑誌「smart」の専属モデルである結木滉星さんではないかと言われています。出身地や趣味、年齢差や顔立ちが似ていると話題です。

スケートの浅田真央さんもそうですが、兄弟、姉妹でスポーツを始めると小さい頃から兄や姉の指導もあることから急成長することがよくあります。三笘選手もそうだったのかもしれません。

三笘薫選手の幼少期

そういや金曜深夜にやってた #サッカーアース で流れた幼少期の 三笘くん。
幼稚園は きりん組 🦒だそうです(可愛い) pic.twitter.com/eZwiW8joA1— いるかのしっぽ (@bluefronta) May 16, 2021

一緒に写っている女の子はサッカー女子日本代表なでしこジャパンの三浦成美選手。
三笘選手と三浦選手は幼少期の頃、同じ幼稚園に通っていて小さい頃から家族ぐるみでの交流があったそうです。


また、この頃から2人はサッカーをしており同じサッカースクールにも通っていました。小さい頃から一緒にサッカーをやっていた知り合い同士がサッカー選手になり日本代表になり活躍しているなんて素晴らしいですね。

三笘薫選手の小学校時代

小学生三笘選手が中村憲剛選手と握手する写真、いいな! pic.twitter.com/5BWrB2KdDD— K子((cHUnチュン)) (@sperlingSzm) January 1, 2021

三笘選手は川崎市立鷲沼小学校に入学します。

小学生の頃に地元の強豪チームであり田中碧選手と同じチームである「さぎぬまFC」に入団し本格的にサッカーを始める事になりましたが、親の勧めで小学3年生の頃に川崎フロンターレU -12の入団セレクションを受け、見事合格し川崎フロンターレに入団しています。

狭き門であるこの入団セレクションに合格している三苫選手は小学校時代から将来的に期待され、高いサッカースキルを持っていたことが分かります。

川崎フロンターレU -12では5年生、6年生の時に全日本少年サッカー大会に2度出場しベスト8、ベスト4という結果も残しています。

6年生の頃にはチームのキャプテンとして活躍し、川崎フロンターレU -12ではサッカーにおける基礎的な部分の「止めて蹴る」部分や、ボールの置き所を意識して「ボールを運ぶ」スキルを相当練習していたそうです。

この小学校時代の練習が現在の三苫選手のドリブルやパスセンスの原点だったのかも知れません。

三笘薫選手の中学校時代

三笘、田中碧、高は、川崎U-15で一緒にプレーしてるはず。 pic.twitter.com/ilYlK2NnW2— とめ (@recycle_tom) June 4, 2019

三苫選手の出身中学は川崎市立有馬中学校で、中学校に進学後も川崎フロンターレのジュニアユースに所属していました。

ジュニアユース時代には他者と比較しても素晴らしい才能をみせていたそうで、背番号も10番でチームのエースとしてチームに貢献していました。

当時特に上手い選手が揃っていたガンバ大阪ジュニアユースと試合をして3−4で敗戦してしまうものの、ガンバ大阪ジュニアユースの監督から、ここまで守備が崩されたのは川崎フロンターレが初めてだと発言させるほどだったそうです。

三笘薫選手の高校時代

【アカデミー】川崎フロンターレアカデミー出身の選手5名がU-24日本代表に選出されました⚽️✨懐かしのアカデミー時代の1枚。「三笘 薫選手」 (アカデミー) #frontalepic.twitter.com/6s6Uif3Ki1— 川崎F アカデミー&スクール・普及コーチ (@frontale_kids) March 19, 2021

三苫選手は川崎市立橘高校出身で川崎フロンターレユースに所属していた為部、活動には所属しておりませんでした。スポーツに力を入れているようですが偏差値も高く文武両道に励める環境であり、人気な学校です。

高校時代でも異彩の才能を発揮しており、ボールを保持しているときには空気感は明らかに異質でありチームメートやコーチングスタッフも称賛するドリブルとボールタッチ技術の高さを発揮していました。

高校時代の活躍からトップチームへの昇格も打診されましたが、1学年上の三好康児選手や板倉滉選手の姿を見て、客観的に考えたときに、まだ自分のプレーに自信を持てておらずプロサッカー選手になっても活躍できる確信がないという理由でトップチーム昇格を辞退しスポーツ推薦で大学へ進学します。

その際川崎フロンターレ側は三笘に「必ず帰ってきてくれ」と伝え、三笘選手も「必ず帰ってきます」と伝えたそうです。

プロへの打診があったら普通は自分の能力が認められたと感じて承諾してしまいそうですが、三苫選手は高校時代にチームメートやスタッフにも認められ多大な活躍を見せていたのですが、現状の自分に満足していない気持ちの表れが大学進学の決め手になったのではないかと考えます。

三笘薫選手の大学時代

⭐️インカレ・ルーキーFile 3⭐️
三笘 薫(筑波大学・関東第2代表)https://t.co/VlNYuuToyK
リーグ戦ではスーパーサブとして活躍し、目の覚めるようなドリブルで攻撃の起点となったMF三笘薫選手を紹介します。 pic.twitter.com/G7hCDFm8bN— サッカーキング (@SoccerKingJP) December 6, 2016

三苫選手は体育専門学群があり、スポーツを研究できる環境が整っていた筑波大学に進学。そこで、ドリブルの研究を積み重ねています。筑波大学サッカー部は人材育成にも力を入れている部分もあり、1、2年生の多くをレギュラーとして抜擢してきていました。

大学2年の時に出場した第97回天皇杯のベガルタ仙台戦で開始6分で約50メートルをドリブルで独走し先制ゴールを奪う活躍を見せ、プロ選手を相手に得意のドリブル突破で得点する個人技を発揮し違いを生み出す存在でした。

大学3年の夏に前倒しで古巣の川崎フロンターレに内定が決まり、4年生の9月に特別指定選手としてルヴァンカップに出場しプロへの階段を登り始めました。

大学時代の三笘選手の卒論のテーマは「なぜ、自分のドリブルは抜けるのか」。自分の頭の上に小型カメラのGo Proを装着し実際に相手と1vs1をし、自分のドリブルしている時の視野を映像化して徹底的に研究をしました。

感覚に頼りがちなドリブルを研究を通して論理的に分析した経験は、他者にはない自分の強みに変えることができたのではないかと思います。


サッカーを学問的に学びながら、サッカープレーヤーとしての経験を積める環境で育った経験が今の三苫選手の活躍に貢献しているのかもしれません。

三笘薫選手プロになってから

⭐️インカレ・ルーキーFile 3⭐️
三笘 薫(筑波大学・関東第2代表)https://t.co/VlNYuuToyK
リーグ戦ではスーパーサブとして活躍し、目の覚めるようなドリブルで攻撃の起点となったMF三笘薫選手を紹介します。 pic.twitter.com/G7hCDFm8bN— サッカーキング (@SoccerKingJP) December 6, 2016

川崎フロンターレに入団してプロ1年目で公式戦通算38試合に出場し13得点12アシストの活躍をし、Jリーグのベストイレブンを受賞した。

最初は途中出場からの試合が多かった三笘選手だが、着々と結果を出していきシーズン終了時には1年目ルーキーでありながらチームにとって欠かせないにまで成長を遂げました。

その年の川崎フロンターレは最多勝ち点や最多得点など複数の記録を塗り替える圧倒的な強さで2年ぶり3度目のJ1リーグ優勝と天皇杯優勝を果たし、三笘選手の活躍で優勝に大きく貢献したと言えると思います。

2020年の東京オリンピックにも途中出場での試合が多かった中3位決定戦では得点を決めるなど国際試合でも活躍を見せ、同年にイングランド・プレミアリーグのブライトンからJリーグから海外移籍の際の移籍金最高額となる3億9000万円での移籍を実現させた。

だが、A代表での経験がなくイギリスの労働許可証が発給されなかったため三苫選手はベルギーリーグのロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズへ期限付き移籍をしましたが、2021年に日本代表に選出されA代表の経験を積み2022年夏にブライトンに復帰しました。

W杯での活躍後にブライトンでも活躍を続け現在公式戦9ゴールを果たし、FA杯で4強入りを果たしていて、イギリスメディアからも高い評価を得ていて現地の人気も試合を重ねるごとに上がっています。

三笘薫選手は幼少期からサッカーを始めていた

兄の影響でサッカーを始めた三苫選手が本気でサッカーに取り組み、自身の強みのドリブルを追求し誰が相手でも通用する武器を作る努力は継続をすることが1番難しいと考えます。

感覚だけでサッカーをしないで、若い年で論理的にサッカーの理解を深めて海外で経験を積み海外のレベルの高い環境でこれからどれだけ技術・戦術を吸収し活かしていくのか。今後の三笘選手の活躍に期待です。

まとめ

  • 三笘薫選手がサッカーで遊び始めたのは3歳の年少
  • 本格的にサッカーを始めたのは小学2年
  • クラブチームは「さぎぬまFC」

常向上心を持ちつつ謙虚な姿勢で活躍をし続ける三笘選手。

海外での試合でも自分の強みを活かしたドリブル突破と高精度のパスで得点・アシストといった結果を出しスタメンとして出場する姿は現在プロを目指している子供達のお手本として今後も活躍してほしいです。

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